火事場の馬鹿力という言葉があります。
人が絶望的な状況に陥った場合、思わぬ力が出るという例えの慣用句。確かに一理ありますし、科学的な根拠もそれなりにあるようです。
瞬間的に訪れる絶望的状況、たとえば火事であったり、事故であったり、仕事の修羅場であったり、家族のピンチであったり、そういう場面ではそれなりの力が発揮されるのかもしれません。実際の体験談もよく聞きますし、私にも覚えがあります。
ただ、この能力を過信する、計算に入れるのはどうかと常々思います。ピンチが瞬間的なものであればともかく、継続性のあるものや、何回も繰り返し起こるようなものだとメンタルが危ない。
仮に100人の人間が経済的苦境に陥った場合、全員が火事場の馬鹿力を発揮して、危機を脱するのでしょうか。
経済的苦境だけではなく、たとえば身体に障害を負ったとか、身内に虐待を受けるとか、この際例えはなんでもいいと思うのですが、そういった長く続く逆境の中でそれを跳ね返すことができる人間がどれほどいるのかと考えると、かなり怪しい。
そんな簡単に奇跡的な力が発揮できるのであれば、この世に不幸な人、ネガティブ思考人はもっと少なくなるはずです。
日本人の自殺の原因トップ2は、経済問題と健康問題であり、数十年変わっていません。
厳しい状況が長く続けば逆境を跳ね返す余裕もなくなります。余裕がなくなるということは手段がなくなるということ。もちろん、冷静な判断もできない。
どうしてもその場その場の生活に追われていき、また将来の展望を描けないというマイナス思考が定着していくので、状況を好転させるための材料「資金」「時間」「情報」「人脈」が枯渇し、最後は「運」にも見放されてしまう。せいぜい出来ることと言えば、その場しのぎの先送り。
イザとなれば本当になんとかなるのか?
ではどうして自殺者がこんなにいるのか?
火事場の馬鹿力は頼りになるものかもしれないが、都合よくその力が発揮される確率は低い。特に経済的な面においては、まったく頼りにできない。
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